
福岡県八女郡黒木町にある国の天然記念物「黒木の大藤」のことは以前にご紹介したが、その大藤を植栽された第97代後村上天皇の第6皇子「良成親王(よしなりしんのう)」のお墓が、この八女郡矢部村大杣公園にある「大杣御所」である。
それにしても、どうも天皇家と藤というのは関係が深いようで、これは大化の改新の天智天皇と中臣(藤原)鎌足や、その後の奈良時代における天皇家と藤原摂関家の関係を思い起こさずにはいられない。良成親王と同じように、叔父の懐良親王(かねよししんのう、かねながしんのう)も福岡県小郡市の福堂地区の神社に藤を植栽され、「福堂の将軍藤」として現在も親しまれているのだが、この神社の名は「大中臣神社」という。中臣鎌足は大化の改新の後「大中臣」という姓を賜り、死後に「藤原」の姓を賜った。天皇家とそれにからみつくような藤原氏の歴史を考えてしまうのだ。
良成親王は、天皇家が南朝・北朝に別れて争った時代、叔父の懐良親王の後を継ぎ、後征西将軍として南朝再興のため熊本の菊池氏などと共に北朝・足利氏側と戦ったが、志かなわずここ矢部村で亡くなったという。そのころの矢部村は、九州における南朝側の最後の砦として、歴史的にもクローズアップされる場所であった。
矢部村は、福岡・大分・熊本の三県境に位置し、福岡県下最高峰の御前・釈迦岳をバックにした山深い場所であり、杣の里(そまのさと)とも呼ばれる。杣とは読んで字のごとく「木を育てる山」のことで、山の文化を大事にして残してゆきたいというのが、村のスローガンとなっている。渓流公園などもあり、今どき珍しく夏には川で泳ぐ子供の姿を見ることができる。
明治11年5月、高良大社宮司船曳鉄門等の史家が文書や種々の考証をし、宮内省が矢部村大字北矢部字御側にあるこの墓を、良成親王の御陵墓と決定した。毎年、良成親王の命日とされる10月8日には、御霊を慰める為の浦安の舞が奉納される「大杣公園祭」が開催されている。